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2009年4月

2009/04/20

帰郷

今こうしていることが
現実であるようなないような
不思議な感覚の中で
車を走らせてきた


父の急逝を知らせる電話を受けたときも
妙に冷静な自分がいた
明け方帰郷し
昼には父と対面し
家に迎えた
次の日には葬儀をし
その夜父は骨となっていた
淡々と流れた?


映画「おくりびと」を観たとき
会場は中高年でいっぱいで
すすり泣く声も聞こえた
でも私は泣かなかった
泣けなかった
出てきたのは花粉症の涙

そうだ父の死にも泣かなかった
泣けなかった
あれから一年半が過ぎ
いくつも夜を重ねて
朝を迎えて
でも
何も変わっていない


先日母の通院に付き添い
あいかわらず一時間以上待たされている間
どれだけ
「その話はやめよう」
と言っただろう

母の口から父の話が出る
父の死を惜しむものでもない
自らを責めるのでもない
そして
一番不幸なのは自分だという


病院から帰りの車の中で
母は
自分が死んでしまったらいいのだろう
と興奮し
シートベルトをはずして
走る車から降りるといった


そんなことを思い出しながら
なつかしくもない
ほっとするという感覚もない
私が育った家に向かう


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2009/04/12

タローさんのコンサート

こんなときにコンサート?
こんなときだからコンサート?
どっちだってかまわない
教室に行かなくなって9ヶ月
現実逃避というよりも
私の心が渇望していた

なつかしい顔に会った
どの人もなつかしがってくれることが
とても胸にしみた

タローさんの世界の中で
漂っている自分がいた
なつかしい音色に聞きいりながら
美しい指の動きに見とれながら
私の頭の中には
複数の思いが湧いては消え
からまりあっていた

悲しいのでもない
くやしいのでもない
苦しいのでもない
さみしいのでもない

雪が手のひらで解けるように
心が何かから解き放たれるような
あわく
じんわりとした気分

楽器はうまくならなくてもいい
楽器に触れること
それだけで今までと違う自分に出会える
最後にタローさんが伝えてくれたメッセージ

どんな形であれ続けること
以前そういってもらったことを思い出した

会場を去るとき
タローさんと会った
他の客の応対もあったので
立ち去りかけた私に
あわてて追うようにして
「また丹波でやりますから。HP見てください」
と声をかけてくださった

どんな形であれ続けること

一本の笛(ケーナ)との出会いが
いろんな人との出会いにつながった
それは固い絆というのではないが
あたたかい

心についた傷口を
ふんわりと包んでもらったような
心地よい時間だった


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2009/04/03

静かな夜

この二日間で430km走った
あと何回走るのだろう

来週から新しい職場で
この半年の暗闇から抜け出て
のこりの時間をスタートするはずだった

春休みのうちに
持ち帰った本が山積みの部屋を整理し
新しい気持ちでスタートするはずだった

手術をすれば当然入院
退院後のリハビリ
通院

少なくとも欠勤せねばならない
果たして仕事は続けられるのだろうか


母の思いは私たちとすれ違う
かみ合わない

昼ごはんを食べに行った大型商業施設で
おもちゃ屋の前を通ったとき
曾孫に何か買ってやりたいという

もらう方が気を遣うだけで喜ばないと
今日も断った
今日も
母の用意した荷物を置いて帰った

気持ちを踏みにじった自分と
自分の気持ちが満たされないという母に
腹が立って
悲しくて

・・・くやしい?

あなたの人生は
私の人生は
こんなに切なく終わっていくの?


さっきHANAがすわっていたひざに
猫のチャーコがのぼってきて
のどをならしながら丸まっている
傾きかけた家の
寒い部屋で
母は一人で眠っているか


これは夢ではない

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2009/04/01

診察

ようやく受診する気になった母を車に乗せて
私は憂鬱だった
いつも母の話は愚痴であったり
人の悪口だったり
そして、お金の話・・・

MIYOのことを言えない自分
MIYOのことを
「結婚式もせんと子を産んで・・・」
と言った母

私がかわいそうだと言いながら
兄に金を送る母


医院から紹介状をもらって
町にある医科大病院へ


一時間の待ち時間の間
思い浮かぶことを次々にしゃべる母
誰それの病気はこうだった
どこそこの家人が入院して大変だとか
脈絡もない
どこで誰が聞いているかと
あたりを見回してしまう

処置室のとなりで医者は私に
手術を要すると告げた
説明用の写真は
胸をえぐりとられた女性のものだった

手術に向けての検査のうち
今日できるものをやっておこうということで
すべてが終わったのは午後三時だった

お昼を食べて帰ろうと言ったら
用意しているという
またしても仕出屋に注文したという
うどんでも、家に帰ってお茶漬けでもよかった
客人のように仕出しをとる
そのことに腹が立ち、
それだけではない何かしらに腹が立ち
私は不機嫌だった

不機嫌なまま5千円を超える料理を食していて
またしても父に対する悪口を聞かされ
私の何かがはちきれて
席を立って
帰ってきてしまった


母は泣きながら車の窓を叩いた


いつも帰省した帰り道にするように
途中でパーキングエリアに入る
心を鎮めないと帰れない

シートに体が沈み込む感覚と
頭から肩へ背中へと疲れが広がっていく

転勤したばかりの職場に電話を入れ
欠勤を届けた

手術の日、そしてその後、・・・
考えなければならないことが
心の準備を追い越して
つぎつぎにやってくる

夕食を作り、ともかくも食し
横になったら眠っていた
わずか20分だったが
またしても
ここがどこで
今がいつなのかという一瞬ののち
現実を再認識した

わずか十数秒の間に
十年の歳をとった


そののち兄に電話した


明日、もう一度車を走らせる
検査でできた傷口を診せるため


母はまだその病名を知らない

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